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けんぞう見聞録 Vol.49
□日時:2007年4月8日(日)
□場所:兵庫県 淡路島
□内容:高田屋嘉兵衛記念館
グロービスのアルムナイ活動「ええとこ!日本発見隊」の企画で淡路島にある高田屋嘉兵衛の記念館を訪ねた。こんなに凄い人が淡路島に居たなんてほんまに知りませんでした。なんせあの司馬遼太郎さんが江戸時代で一番偉かった人と評したぐらいですから半端やないです。いやほんま。
●高田屋嘉兵衛とは→
●菜の花の沖→
●現代に通じる経営理念→
●ついでに神戸空港初体験→
四国のサーフスポットあれこれ 高田屋嘉兵衛とは
淡路島(現在の兵庫県洲本市五色町)の農民の子として生まれる。寛政7年には庄内で1,700石積の辰悦丸を建造し本格的に廻船業を興し、蝦夷地経営へ乗り出す。幕命により択捉航路を開き「函館」の北洋漁業の基を築いた功労者である。文化3年函館の大火で街の大半を焼失したとき、市内の井戸掘や道路の改修、開墾・植林等も自己資金で行なうなど、函館の基盤整備事業を実施した。文化9年幕府によるロシア船ディアナ号艦長ヴァーシリー・ゴローニン幽囚の報復として、嘉兵衛は国後島で副艦長のリコルドにより捕えられた。ディアナ号でカムチャツカ半島ペトロパブロフスク・カムチャツキーへ連行されるが、翌年帰国。帰国後の嘉兵衛は松前奉行を説き伏せ、ロシア側に侵略の意図が無い事を納得させ、人質解放に尽力した。つまり嘉兵衛は日本だけでなくロシアまで動かすそれはそれは凄い起業家だったのです。
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四国のサーフスポットあれこれ 菜の花の沖
司馬遼太郎は彼の物語を「菜の花の沖」という小説にしていますが、記念館は「菜の花ホール」と呼ばれており回りが広い公園になっています。また嘉兵衛は晩年自分の事を菜の花のごとくであると語っています。機会があれば是非その意味を調べてみてください。ここでは内緒にしておきます。訪問の記念に菜の花がさく銅像の前で写真を撮りました。ひとりだけなぜかスーツ姿で(笑)
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四国のサーフスポットあれこれ 現代に通じる経営理念
彼は淡路の小さな港から海運業を興して北海道まで出ていくのですが、船積みする荷物の品質をきちんとチェックしたり、当時北海道で差別されていたアイヌの人をどんどん雇用したり、儲けたお金を社会へ還元したりどれもこれもが現代の経営にも充分役立つだけでなく、逆に彼の経営理念を今こそ見習うべきと思わせるほど完成度が高いのにビックリしました。さすが司馬遼太郎が「あんたは偉い!」と褒める方ですなあ。
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四国のサーフスポットあれこれ ついでに神戸空港初体験
この日は夜に渋谷で友人のブライダルパーティーがあったので、初めて神戸空港から羽田へ飛びました。コンパクトにまとまった空港は駅からチェックインまで近くおまけにスカイマークなら1万円ポッキリと料金もリーズナブルなのが結構魅力です。会場でたくさんの友人に祝福されるお二人を見て僕ももう1回結婚しようかな?と思いました(笑)
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